「吹く」と言う行為から少しづつ脱却しつつある
例えばフォルティッシモが必要な場合、どうしても息を多く吹き付ける癖があった、と言ってもまだその癖は残っている
逆にピアニッシモの場合、息を弱くしていた
普通に考えれば当然と言えば当然かもしれない
しかし、ここにきてそれが必ずしも当然ではないことに気付いた
肺から喉を通って口内、そして唇で息の柱を作って歌口に吹き付けると言うのがフルートの音を出すための一連の行為
今までは当たり前のように同じ動作をしてきた
どう説明すれば良いのか、なかなか難しいが誤解を恐れずに言えばアンブシュアを作ったら優しく息を吐かなくてはならない
今の課題である
9年間レッスンに通い1年350日以上は毎日1時間の練習を欠かさなかった現在やっと見えてきた通過地点(八合目いや、もしかしたらまだ五合目かもしれない)
1年前に比べると格段にレベルは上がった(と思う)(付け加えるが音質のみのはなしである)
しかし、気を抜くとすぐ1年前の状態に戻ってしまう
昔(40年ほど前)誰かに教わった紅茶を冷ますような吹き方が今やっと理解し始めている
参考までに言っておくと
唇は脱力する
ただ、アンブシュアは崩さない
息はお腹の支えなしでは良質な音は出ない(気を抜くと支えがなくなってしまう)
息を吐く穴はできるだけ大きくするが息の集中は必要
脱力は必要以外の力は入れないこと
もちろん全部の力を抜くと元も子もない
ただ私の場合はまだまだ訓練しなければならず、これに加えて指の間違いを減らすためにゆっくりと練習する、姿勢を良くする、体全体の脱力もしなければならない、ブレス時フレーズが途切れないように、等課題は決してなくならないのです
フルート奏法の脱力の意味
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