フルーティストとクラシック音楽 未分類 恐るべし!坂上しのぶ!

恐るべし!坂上しのぶ!

最近ちょっと思っていた。
自分は通常のテンションは低いほうだな、と。
だから演技っぽいことをするのは抵抗がある。
しかし、逆に演技力が身についたら演奏にも活かす事が出来るのではないかとも考えたことがある。
今日、たまたま着けたテレビで坂上忍が授業をしていた。
子供10数人の前で、子供たちに向けて「はい!怒って!」「はい、泣いて!」と言っていました。
また始まったよ!坂上忍!
と思っていたし、これは俺には出来ないなあ・・・と。
しかし、坂上忍がいろいろと話しかけているのを見て、そのまま最後までその番組を観てしまった。
で、今回非常に有意義だったと思ったことが幾つもあった。
それは演奏と演技と言う2つの言葉(今回はややこしくなるので次回に)。
いずれも演ずるという漢字がある。
はい、泣いて!
と言った後、子供たちに次のようなことを言っていた。
最初に嗚咽を上げた子供以外に対して
「誰かが先に泣いたからと言って焦るな!」と言った。
これはものすごいことだと思った。
私も上手いフルートの音を聴くと焦るからだ。
何故か?自分よりも上手い人がいるなら殆どの人がその人の演奏を聞きたいと思うだろうと、自分を悲観してしまうからだ。
また、受験の時、自分よりも先に答案用紙を裏返す人がいると焦っていた。
人の中で自分の序列を感じていた。
坂上忍はその後子供たちに冗談も交えて話をし始める。
すると子供たちは素直に笑う。
「そう!それで良いんだ!その笑顔が自分にしか出来ない笑顔なんだ!」と。
そして次に子供たちに鋭い質問を次々にする。
すると困ったのか、緊張したのか、子供たちは泣く子も出始める。
坂上は「そう!その涙はあなたにしか出せない表情なんだ!」と。
演技をしようとすると嘘の泣いた顔だったり嘘の笑顔だったりするが、それはお客さんが引き込まれない、と言う。
「泣こうとすると泣けないんだ!笑おうとすると笑えないんだ!」
坂上の言葉を聞いて、なるほど・・・と思った。
普通に笑ったそのままを演技の時に出せば良いんだ!
難しいことのようで簡単ではない言葉は説得力があった。
上手くやろう!と思うと上手く行かないのが世の常。
「お客さんは嘘の泣いた顔を見ても何にも感動しない」
自分が芝居をやりたくない、と思っているとそれが人に伝わってしまう、と言う。
芝居を好きになること、が大前提だと。
それにしても芝居は戦場だと思った。
と、するなら、演奏だってある意味同じ戦場ではないだろうか?
演技をしようとすると上手くいかないから普段の自分の表情をその芝居に当てはめていく。
口で言うと簡単だが、これはとてつもなく高度な技術だと思う。
ただ、演奏は日常ではありえない行為だから、日常の笑いをそのまま当てはめると言うことは出来ない。
しかし、日常を練習とするならば、練習していることをそのまま演奏会に当てはめることが演技と同じように感じるのではないだろうか?
テンションの低さを如何にテンションを上げるか、そして普段の練習を如何に本番に適用させるか、を考えながら練習してみようと思う。。。

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